ビザンティン帝国は{歴史・外国映画・文化}

コンスタンティノープルを首都とした中世ローマ帝国の通称。

東ローマ帝国Eastern Roman Empireともよばれる。

ローマ帝国の東方領は、西のローマを中心とする西方領が滅びたあとも、ローマの政治体制、キリスト教、古代ギリシア文化の3本の柱を中心に1453年まで生き続けた。

この世界史上きわめてまれな長期の帝国は、コンスタンティノープルの前身がギリシア植民市ビザンティオンであったところから、ビザンティン帝国と通例よばれることが多い。

ギリシア語を公用語とし、ギリシア正教を国教とするこの帝国は、全中世を通じてギリシア正教圏の盟主として君臨した。

ことに、のちに新たに誕生してくるスラブ系諸国にとっては、帝国の政治、宗教、社会、文化および経済はそのすべての面において模範とされ、コンスタンティノープルはまさに「東のローマ」であった。

文化的には古典ギリシアの文芸をもっともよく保存・育成・発展させ、これを西欧諸国およびイスラム圏に伝えた。

そしてまたイタリア人文主義にも大きな刺激を与えた。

ビザンティン帝国の歴史的出発点をどこに置くかは、議論の多いところである。

現在では、全体を3期に分け、このうちの中期をさらに前期と後期とに分ける方法が多くとられている。

すなわち、330年5月11日から610年を初期とし、610年から1204年を中期、中期のうちさらに、610年から1025年までを前期、1025年から1204年までを後期と分ける。

1204年から1453年5月29日を3期のうちの後期とする。
update:2010年03月17日